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2006年8月の3件の投稿

2006年8月31日 (木)

暑かった8月も終わり

子供達にとっての夏休みも今日でおわり。そして今年の夏も猛暑の連日。毎年暑さがひどくなっているのを実感する。やはり、深刻な地球温暖化への道は確実に進んでいるよう・・西日本は亜熱帯に属するようになるんじゃないか?この100年で地球は人間自らが作り出した文明とやらの創造物を先進国は飽和の域を超えるごとく生産し続け、自然界の循環、生物の生態すら狂わせてしまっている。こんなでウン10年先どうなるんだろう。真の幸せな生活とはちょっとかけ離れた地球になりつつあるのが不気味である。

空を見上げると、どこからともなく目に入る優雅な鳥の飛ぶ様、個性のあるそれぞれの鳴く声が聞こえ、せみが一斉に轟きはじめるのことで季節を感じ、鈴虫の声で秋の予感に浸り、私達はそれが本来あるべき姿であると思っていたのが今、来るべきものがこない。聞こえない、見られなくなった、そんなことばかり。

自然界で脈々と、しかも分をわきまえ種族保存のため必死で生命の持続を営んでいるありとあらゆる生物を危機にさらしているのも人間。

P5110026 このすずめたちもあまりの暑さにこの8月は姿をみせてくれなかった。

チャント生きているかなあ

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2006年8月24日 (木)

直木賞作家かなんか知らないがとんでもない感性だ

「坂東眞砂子さん「子猫殺し」コラム、掲載紙に抗議殺到(読売新聞)」

 直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)が、日本経済新聞の18日夕刊に「私は子猫を殺している」と告白するコラムを掲載したところ、インターネット上などで批判の声が上がり、日経新聞や動物愛護団体に抗議が相次いでいることがわかった。

 「日本動物愛護協会」(東京都港区)は近く、コラムの内容について日経新聞に事実確認を申し入れる予定だ。

 批判が上がっているのは、日経新聞夕刊の「プロムナード」というコーナーで、「子猫殺し」とタイトルが付けられた坂東さんのコラム。「こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている」で始まり、生まれたばかりの子猫を家の隣のがけ下に投げ捨てていると告白している。その上で、飼い猫に避妊手術を受けさせることと、子猫の投げ捨てを対比し、「生まれてすぐの子猫を殺しても(避妊と)同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」と書いた。

・・・・・・・との記事を読んで、無知な、命の尊さをわからないガキじゃあるまいし48歳にもなっている人間が何たる非道が行えるのか、、、又結果がどうのこうのといっているがそれ以前の人間としての常識を疑う!こんなコラムは吐き気がする。
抗議が殺到するのは当たり前だ。この歳の人間でも今やここまで心に通う血が汚くなっているのか・・・世の中に多少なりとも影響力のある物書きであるからこそ、倫理感が必要じゃないのか。 これが人間であれば? 生まれてすぐ殺しても、避妊で殺すも同じ、という
ことか?・・・そういっているようなもんじゃないの。

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2006年8月 3日 (木)

書きそびれたあれこれ、その1

古本買取り店、BOOK ***の商売に参った!でした。

邪魔くさいどうでもいいのから、まだ新しい本まで50冊以上はあったと思うけど廃棄処分には本意でない私なので買取りの店へ腰をいたわりながらこの重い本を運んだのです。すでに私は「捕らぬ狸の皮算用」そのもの。売った分で新刊本の1,2冊でもかえる、、、、とね。だって 村上氏の 「半島を出よ」上・下など結構高い単行本をはじめ人気本、貴重な本などなど持っていったのに、「査定しますのでしばらくお待ちください」、の後、一声、   ¥180円 でーーす。だと! 私、何だと?どういう査定するの?ムッとしたことは確かです。色々あちらが言うには、カバーがちょっとめくれた後があるだの、本の中に折り目の後があるだの、ちょっとシミがあるだの、薄汚れてるだの、まあ殆どタダ同然で引き取って売るときはそう安くない値をつけている・・・なるほどしっかりした商売してるわ!と思いました。腹たって1円にもならないといった本など、本気で持って帰ろうかと思いましたよ!でも手放すつもりで持ってきたあの重さを考えるとあきらめてハイハイ、と180円受け取って帰ってきたわけです。何かいまだに納得行かない私ですが。

本売るときの心得・・・・〇ぜったいカバーはつけておく。 〇しみを付けない 〇折り曲げない    となれば寝ながら読んだりする時もうっかり本を開いたまま押しつぶして寝ない、よだれなんかつけようものなら10円にもなりません。 〇パソコン関係の本も1年経つと0円です。

  その2、                                                     先日、若いときからの仕事仲間であった友人が「里帰りするから」との連絡で後日、数年ぶりに逢った。久しぶりの帰省というものは私も経験あるが限られた時間は数日なので貪欲に人に会い、行っておかなくてはならないとこへ出向き、で強行軍になったりする。彼女もそのようの日程で私とは帰る飛行機の時間までというあわただしいものであったが、それでも昼食を共にでき数年の空白の時間の経過の話などで盛り上がった。私の持論だが5年1サイクルとして物事を見つめる傾向があって、5年と言う歳月は何かステップが、良いにしろ悪いにしろ変化をきたす、もしくは分かれ目が訪れる、、、、彼女との付き合いは付かず離れずのいい関係だから5年サイクルなんてのはないけど、彼女もご主人の定年、息子さんの結婚、孫ちゃんができ、と5年と言う月日の中でいろんなことが回りで変化していったのでは?と思う。 彼女、仕事に意欲的で、まだまだ頑張るらしいから、私も今抱えているコンサートの準備、練習に頑張ろう。            しかし                                 

東京というマンモス都市と地方都市では仕事の需要供給も格差が大きく、音楽関係の仕事なんかもすべてに2極化をあらためて感じる。教える仕事はこちらがどこかで割り切らなくてはありつけない。自身のありようが自問自答される。仲間と演奏する楽しみもはずせないけど、なにか足りないよね?ってふっと思う時もあったりする。

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